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quadruplus!!は獣化小説を公開したり、獣化情報を紹介したり、そのほか色々なことを乗せていくブログです。
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また今回も一つ妄言を書きたくなったので、書きますですはい。

※以下は全て勝手な持論です。ふーんと思いながら読んでください。

よくほら、「創作エネルギー」っていう表現使ったりするじゃないですか。

クリエイターがモノを生み出すとき、特にこのデジタルの時代、僕らみたいな小説書きや絵描きっていうのは、「ほいほいほい~」とPCに向かって何かしてれば数時間後に作品が出来あがってる! みたいなイメージ有るじゃないですか。無から有を産み出す的な。

でも実際問題、そんな錬金術みたいな事できるわけないんですよね。僕らがクリエイションしたそれらは、元々はクリエイターの持つ「何か」だったはずで、つまるところそれって創作エネルギーなわけなんだと僕は思ってるんですよ。

って言ってると何が言いたいのか分からないので、噛み砕いていくんですが。

位置エネルギーと運動エネルギーって物理で習うじゃないですか。

●←位置エネルギー持ってる

落とす

●←運動エネルギー持ってる

的なヤツ。

(まだ習ってない人ごめんね~)

つまるところ、エネルギー保存の話で、最初に持っていったエネルギーと、その後別のエネルギーに変わった後でエネルギー量って変わらないってやつ。

アレと一緒で、創作エネルギーっていうのも、つまりそういうものだと思ってるんですよ。

たとえば、位置エネルギーを得るためにモノを高いところに移動するには、そのためのエネルギーが必要ですよね。
これっていわゆる「創作意欲を高める」って事に該当して、つまり例えば、その創作意欲を高めるのは人それぞれ方法は違うんでしょうが、あくまで例えば「他の作品からエネルギーを貰う」とか「人生経験を通じて知識を得る」だとか、きっとクリエイターっていうのはありとあらゆる経験を、大なり小なりクリエイションのためのエネルギーに変えるわけで、そうやって、自分の作りたいものを作るためのエネルギーを蓄えていく、これが「創作エネルギー」だと思うんですよね。

で、作品を作っていく時にはそれを消費して、つまり創作エネルギーを作品そのものに注ぎ込んで、まるで位置エネルギーが運動エネルギーに変わるかのように、別のエネルギーへと作り変えていく。

で、この時削っている創作エネルギーと言うのは、実際の体力であったり、気力であったり、或いは時間であったり。人それぞれ消費率は違うでしょうが、少なからずエネルギーは削れていっているんだと思うんです。

中には「いや、そんな消費してないけど」みたいな人とか「いやむしろ書けば書くほどエネルギーたまるんだけど」みたいな人が、本当にごくまれにいると思うんですが、そういう人ってきっと作ってエネルギー消費するのと同時に、自己発電で補っていける人だと思うんですよ。

創作エネルギーを作品エネルギーに変える段階で、そのエネルギーを如何に効率よく変換できるかっていう、言ってしまえば「創作エネルギー効率」のは、実はクリエイターの質に大きくかかわる一つの素質なのかなって思っています。

作品を生み出し続けなくなる人の理由として「情熱が」だとか、「モチベーションが」だとか、そういう話をよく聞きますし、僕もよくするんです。しちゃうんですよね。

でも、実際すげー数書く人見てると、そういう人ほど、情熱とかモチベーションを持ってるわけじゃないんですよね。「なんか書けちゃう」的な。そんなの聞くとうぎぎってなったりするけど、つまるところ、「情熱」や「モチベーション」が無いとクリエイション出来ないっていうのは、位置エネルギーの話で言えば、創作するまで自分を持ちあげるエネルギーを消費している事で作品を完成させてきたから、それが枯渇すると、作品に転換するだけの創作エネルギーが生み出されなくなっちゃうんだと思うんですよね。

で、エネルギー効率の話からちょっとずれたんですけど、つまるところ、
たとえば「20」の創作エネルギーで「10」の作品を作れる効率のいい人と、
「100」の創作エネルギーで「20」の作品を作れる人とでは、
出来あがる作品の質が後者の方が上でも、結果的に長く続けられるのは前者だけっていう事態になってしまったりするんですよね。

前者は20まで高めれば書けるわけだから、特別気合い入れたりとかしなくても、まぁそこそこのモノができます。
後者は「やってやるぜ!(CV矢尾一樹)」とか言いながら前者の5倍の気合いを入れて作品を作り上げて、結果的に前者よりもすぐれた作品を生み出すことが出来るのですが、結果的には毎度毎度高いところまで創作エネルギーを高めなくてはならなくなって、息切れを起こしてしまうんじゃないかなって思うんです。

とすれば、創作を長く続けていく上でやっぱりこの「創作エネルギー効率」っていうのは重要なファクターだと僕は思うんですよね。
じゃあその効率をどう高めていくか、と言う話にはなりますが、そこは具体的には分かりません。その他一切の事は分かりません!

でも、そのー、何て言うんだろ。

たとえば、作品を作り上げていく時に余計な事を考えたりしてないかとか、余計な時間を消費していないかとか、一つチェックしてみるのはいいのかなとは思うんですよね。

作品効率を高めるっていうのは、何も
「100」から「20」を生み出す力

「100」から「40」を生み出す力
にしなくても
「50」から「20」を生み出す力
にできれば、結果的に自分の力っていうのは付いていくことになると思うんですよね。

たとえば、そう、設定を考えるときに「不要な設定」で悩んでいないかとか。
「この設定がなきゃ、世界観が成り立たない!」と作者が思ってる世界観設定の、まぁ大体7割~8割ぐらいって、無くても世界成り立つなーっていうのが、僕の経験上の実感です。
主人公の友人関係がどうで、その友人の性格がどうで、この世界にはこういう企業があって、こういう文化が成り立っていて、みたいなモノって、まぁ、大体どうでもよかったりします。つまり、作者が折角貯めた創作エネルギーが作品エネルギーに上手に変換出来ていない、典型的な例だと思うんです。

まぁ、この例は漫画とか小説だとかを意識した例ですが、そうじゃなくてもそうだと思うんですよね。音楽とかでも、余計なバックグラウンド設定したり、深い意味とかギミックとか小細工しても、まぁ大体聴き手には伝わらないし、全然違うところに感動されたりっていうのも有りますし。

クリエイターって、まぁ人それぞれですから全てが全てではないですが、多くの場合形の違いや目的の違いはあれどクリエイションを通じてやりたいことは「何かを伝える事」だと思ってるんですよね。そのためのエネルギーが創作エネルギーで。

じゃあ、伝えたいことのために本当に必要なエネルギーを生み出すためのファクターって何なの? っていうのを取捨していく必要があって、生み出す作品エネルギーが少ない創作エネルギーなら、いっそ捨てちまってもいいよってところなんですよね。
まぁ、でも、折角のアイデア、折角高めたモチベーション、なかなか簡単に捨てられやしないんだけどさ。でも、捨てなきゃって時、あるんですよ。そこで勇気持って「これはいらない設定」「このシナリオは組みこまない」「こんな伏線は張らない」っていうのをやってくのも、エネルギー効率を一つ高める上で必要な事なのかなって思ってます。

実際のところ、例えば作者が「100」の創作エネルギーを投じて、「20」の作品エネルギーを持つ作品を作り上げたとしても、読者が受ける……受ける……何エネルギーって形容しよう……えっと……「何かを感じたよ」エネルギーっていうのは、僕多分これ半分の「10」にさえ満たないと思うんですよ往々。

いや、壊れるほど何かしても3分の1も伝わらないって歌にも有るじゃない? えっ? 古い? まじで? 古い? 古いか。でもまぁ、正直、作品を通じて自分が伝えたいことって、読者にはほぼほぼ通じてないです。
笑ってほしいところでは笑ってくれないし、感動してほしいところで感動してくれないし、考えてほしいところで考えてくれない。
言ってみれば、ここでまたエネルギー効率の話になるんですよね。如何に相手に(思惑が=エネルギーが)伝わる作品が書けるかという。これはモチベーションの話と違って、結構技量的な部分のセンスの話なのかなって思っていますし、でも工夫次第でいくらでも改善できるポイントでもあると思うんですよね。

ほら、「頭のいい人の話し方」とか「伝わりやすい話し方」みたいな本が流行ったことあったじゃないですか。

※参考:↑頭がよくない事がよく分かるとりとめのない会話の例

あんなのと同じで、こっちの伝えたいこと、まぁ思惑ですよね、こう感じてほしいっていう。
その技量を高めていくのも一つの手で、
たとえば「20」の作品エネルギーで「5」感動させる人と、
「10」の作品エネルギーで「5」感動させる人がいれば、後者の方が楽ですよね。

たとえば、小説の例で言えばですけど、分かりづらい語彙を避けたり、長い文章を避けたりっていうのは一つの効率化の方法だと思うんですよね。

使いたいんですよね、語彙。何かかっけーし、一般的な言葉だとニュアンスが違くて、適切な言葉、表現を使いたいって思うんだけど、それが読者知らないと結局そのニュアンス伝わらないし、辞書引いてもらう手間もどうなのって所なんですよね。
でもまぁ、勿論ケースバイケースですよ。というか、この効率自体、読者層に非常に大きく左右されるわけで、ようはターゲットに照準を合わせなきゃねってことも一つの話なんですよね。
児童文学と純文学とで同じ文章表現でいいはずないし。

また、この感動のエネルギーっていうのは面白いもので、まぁ作者の創作エネルギー以上の感動エネルギーはまず生まれる事は無いのですが、でも読者の「琴線」に触れたりすると、これが化学変化を起こして新たなエネルギーを生み出したりするんですよね。

子供を持つ母親に親子の感動話を見せたら、実際本人が感じてる本当の感動以上に、自分とダブる部分が出てきてすっげー泣いちゃう、みたいなのをよく見るじゃないですか。主に自分の母親で。その時、「ああ、母さんも涙もろくなる歳になったんだ。自分もそれだけ大人になったんだ」って僕も感動するとかしないとかアレこの話今関係ないやいい話だけどどうでもいいや。

ともあれ。

じゃあ、見る側が何で化学反応を起こしてエネルギーの爆発が起こるのかってところなんですが、こいつはもうどうしようもないなって思ってます。
それが分かれば世の中売れっ子クリエイターだらけだよって話で。
僕もそれは分からないです。

僕自身「これは自信作だ!」って言うのは大体人気出ないですし、「うーん、納得いってないなぁ……」みたいな作品が人気伸ばしたりしますし。もう、ほんと訳分からんです。全く。

じゃあ、これまでのエネルギー効率云々の話って意味無いんじゃない?って突っ込まれそうですが、そんなことはないですよ!

ようは、多く書ければそれだけ見る側に伝えられるエネルギー量も増えると思っていて、エネルギー量が増えればその爆発の可能性だって上がると思ってますし、だとすればエネルギー効率を上げるっていうのは、やっぱりクリエイター側にとっては一つ重要なポイントだと思ってるんです。

とか何とか考えながら、僕は日々小説の執筆を続けてきています。
皆さんにもっと楽しんでもらえる作品を書けるように、これからもエネルギーを蓄えてしっかり取り組んでいければいいなと思っております!!!





……あれ、ひょっとして……こういうこと考えている時間って、創作エネルギーにさえ還元されなくて、ものすごくエネルギー効率悪いんじゃね……?(震え声)

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無題
「スポーツ選手の運動は理論にそって体を鍛えればいいけど、クリエイターの運動は?」と思い、「創作 エネルギー」で調べたところ、ここに行き着きました。  面白い理論ですね。良い理論を創作してくれました^^。
 生粋のクリエイターほどの創作エネルギーを持ち合わせていない僕は自家発電できる人が羨ましいです。
 ホント僕は弱いw 自家発電したい!!
 管理人さんも創作がんばってください!!
愛比売命と名乗るものです^^ 2013/10/23(Wed) 編集
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プロフィール
HN:
宮尾 武利
性別:
男性
自己紹介:
東京都出身。
北海道在住。
(現在一時的に埼玉県在住)。
28歳。
普通の会社員。
しかしその実態は、獣化小説を書いたり、獣化情報を紹介したりする、獣化のおっさんなのだ!
2005年5月より情報紹介活動スタート。
同年9月より獣化小説の執筆活動開始。
やんややんやで現在に至る。
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