quadruplus!!は獣化小説を公開したり、獣化情報を紹介したり、そのほか色々なことを乗せていくブログです。
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毛を通してでも伝わってくる土の冷たさが、変化で高まったオオカミの身体を緩やかに冷やしていく。あたりは静まり返り、また風が静かに通り過ぎる音だけが聞こえる。
オオカミに、リュカに意識はあった。オオカミの姿になってしまっても、リュカはしっかりと意識を保っていた。そして思考も。
ただ、おおかみ星を見たかっただけ。それなのに、どうして自分は今オオカミの姿になってしまっているのだろう。前に伸ばした前足が瞳に映る。微かに動かして、自分の意思どおりに動く事を確認して、それが紛れもなく自分の前足であると認識する。
大きな運命の転機が訪れる。アウストリヌスの言葉から、それは理解していた。理解していたつもりだった。アウストリヌスの昔話だって、きちんと聞いていた。しかし、やはり想像もしていなかった。自分自身がオオカミになってしまうことなど。
いや、正しくは想像したくなかっただけなのかもしれない。アウストリヌスからあのおとぎ話を聞いた時感じた、全身の寒気。リュカは確かにあのおとぎ話に、何かを感じ取っていたのだ。あの話が片隅にあって、自分を導いたあの光のオオカミが、おとぎ話の少年だったら。そんなことを考えて走っていたのだから。でも、まさか、自分が狼になるなんて。
オオカミは、痛みこそ残っていたものの、動こうと思えば動けるはずだった。しかしその場からオオカミが動き出す気配はなかった。体力が、というよりも、精神的に疲れ切ってしまい、どうする気力も失っていた。それに、恐かったのだ。今動けば、その行動の一つ一つが、オオカミのそれになってしまい、いやでも自分がオオカミだと認めなければならなくなるのが、たまらなく恐かったのだ。
いや、自分は自分でオオカミになったことを知っているから、こんなオオカミの姿でも自分は自分だと認識できるけど、そのことを知らない両親は、このオオカミがリュカだと気づく事はないだろう。アウストリヌスだって、カリスだって。誰もリュカをリュカだと思ってはくれない。ただのオオカミ。ただの獣。
もし、この姿のまま、一生オオカミのまま、すごさなければいけないとしたら、どうすればいいのだろう。家族にも会えない。この近くでオオカミを見たことはないし、おそらく一匹で生きるしかない。誰にも頼ることなど出来ず。
それどころか、この姿では純粋な夢である占星術師や天文学者にだってなれやしない。そう考えていく度に、リュカの震えは大きくなり、目からこぼれ落ちる涙で、頬の毛はますます濡れた。
リュカは全てを失ったような、激しい喪失感に襲われていた。
リュカが失ったのは姿だけじゃない。名前も、家族も、仲間も、未来も、リュカはリュカという一生そのものを失ったのだ。幼いリュカには耐えがたい、絶望だった。
強い絶望は、思考も感覚も麻痺させてしまう。だから、きっと人間の姿の時よりも鋭敏になっているはずの五感は、人間の時よりも劣っていた。
事実、人間の時にはすぐに気付いた遥か遠くの人の気配に、リュカは気づいていなかった。さっきの遠吠えを聞きつけてきた数人の人間がカンテラを持って、ライ麦畑に入りこんできていたのに、リュカはその人間が目の前に現れるその瞬間まで気づかなかったのだ。
「これはオオカミか?」
「犬ではないだろうな」
話声に気付いてオオカミはびくんと身体を起こして、人間のことを見つめた。オオカミは自分の喉がどうなっているのかも思わず忘れて、とっさに訴えかけた。
「助けて! 急にオオカミになっちゃったんだ!」
しかし、人間たちにはそうは聞こえなかった。
「キャン! グゥグウォウゥッ!」
やや甲高い、若いオオカミの鳴き声そのものだった。人間たちはオオカミの突然の咆哮に少し戸惑ったが、オオカミが弱っていること、まだ若いオオカミの様であることを見抜くと、恐る恐るながらもオオカミに近づいていった。そして、すぐに気付いたのだ。オオカミの周りに、子供の衣服がびりびりに破れて散乱しているのを。
「これは、村の子供のか?」
男がそう言った瞬間、オオカミは人間たちの顔色が途端に変わったことに気が付いた。そして人間たちが何を想像したのか、すぐに理解したのだ。
このオオカミが、人間の子供を食べたのではと。
オオカミは甲高い声で目一杯吠えた。僕は人間だ! この服は僕のだ! しかし、オオカミの怯える様子を見て人間たちは違和感こそ感じたものの、それがまさかついさっきまで人間の子供だったなどと思うはずもなく、オオカミの必死の訴えは人間たちに届く事はなかった。
「縄だ、縄を持ってこい」
人間の一人が、仲間の一人にそう告げた。オオカミは自分の全身から血の気が引いていくのが分かった。もしオオカミの顔が毛で覆われていなければ、人間の顔のままなら、真っ青になっていたに違いない。
もし今ここで捕まったら何をされるか分からない。きっとこの人間たちは、破り捨てられた子供の服を見て、そしてそこにたたずむオオカミを見て、思っただろう。このオオカミが、人間の子供を襲ったのだと。
オオカミは逃げ出さなきゃいけないと本能的に感じていた。しかし、身体がどうしても反応しなかった。気力は戻ってきている。だけど逃げ出せない。オオカミは、リュカはこの時始めて気付いたのだ。オオカミになったということは、身体の勝手が全く今までと異なるということに。足をぴくぴくと動かすものの、力の入れ方が分からない。逃げなきゃ、逃げなきゃ、と焦れば焦るほど、身体は硬直し、何も出来なくなる。
このままオオカミとして捕まる。村の子供を、リュカを襲ったオオカミとして。リュカは自分なのに、誰一人それに気づいてくれることはない。そして、リュカを襲ったオオカミとして、リュカは一生を終える。
オオカミは自分のたどる末路をイメージしてしまい、震えが止まらなくなり、呼吸を荒げた。オオカミとして、リュカではない何かとして死ぬなんて、哀しく恐ろしく、おぞましいことだった。でも、自分ではどうすることも出来ない。リュカは心の中で必死に助けを求めた。誰でも構わない。誰か、誰か!
「うわぁぁぁっ!」
不意に響いたのは、人間の内の一人の声だった。何事かと他の人間たちも声の方を振り返る。オオカミも顔を上げて確認しようとするが、ライ麦の陰になってすぐにはなにが起きているのか把握できなかった。
「ク、クマだっ、クマがっ!」
人間の一人がそう叫んだのと同時に、クマの荒々しい咆哮があたりに響き渡る。人間たちは慌てふためき、オオカミから離れるように後ずさりしていく。オオカミは周りで起きていることが把握できずきょろきょろとあたりを落ち着きなく見まわしていたが、ガサガサと何かが動く音が聞こえるのと、合わせて何かの気配が動くのを感じるだけで、いまだにクマの姿を見つけることは出来なかった。だが次の瞬間オオカミと人間の間に何か大きな影が遮った。
紛れもなくその影はクマだった。まるで人間たちからオオカミを守ろうとするかの如く、クマは二本足で立ちあがり、ゴゥッと人間たちを威嚇した。
「くっ!」
人間たちは初めはゆっくりと後ずさりし、クマから十分距離を取ると、ライ麦畑から抜け出し村へと逃げていった。
「キュゥッ」
オオカミは目の前の大きな影を見ながら小さく喉を鳴らした。クマはオオカミの方を振り返る。月明かりと星明かりだけが頼りとなる暗闇の中、クマの表情をはっきりとうかがい知ることは出来なかった。
クマは二本足で立っていたのをやめ、両前足を地面に付けて四足の姿勢となった。それだけで目線がオオカミとだいぶ近くなった。
クマはじっとオオカミを見つめたまま動かなくなる。オオカミは戸惑いを隠せなかった。まるでこのクマが、オオカミのことを守ったように見えたのだから。しかし、クマに知り合いなど当然いないし、助けられる理由も分からない。
それに、もし本当にこのクマが助けてくれたのだとしても、今のオオカミには礼を言うことが出来ないし、仮に言えたとしてもクマに伝わるはずはないのだ。
リュカは今、オオカミなのだ。オオカミは人間ともクマとも、言葉が伝わるはずなど無いのだ。そう思っていた。
クマはひとしきりオオカミの姿と、その場に落ちているリュカの服を、まるで何かを確認するかのようにじっと見まわした。そしてクマはゆっくりとその前足をオオカミへと近づけた。オオカミは少し怯えたように身体をびくつかせたが、クマの真っ直ぐな瞳を見て、すぐに震えは止まった。そしてクマの前足が、オオカミの身体に触れた瞬間だった。
『怖がらなくていい。私はね、リュカ。お前を助けに来たんだ』
オオカミは突然のことに目を丸くした。突然頭の中に声が響いてきたのだからその驚きは計り知れない。それに、このクマが、自分を、何だって? どうしてこのクマが、自分の名を、知っている?
『リュカには今、知らないことが沢山あるだろう。その全てを教えることは出来ないが、少しずつ、少しずつ教えていく時が来たんだ。ついて来なさい』
クマはゆっくりと前足をオオカミから離すと、オオカミに背を向けてライ麦畑を歩き始めた。
「ガゥッ!」
待って! そう呼びとめるように叫んだが、出てくるのはオオカミの鳴き声。それがクマに伝わることはやはりない。今、リュカの頭に響いた声は、一体なんだったのか。それでも、確かに今の声はクマの声なのだろうと、根拠のない確信を持って、オオカミはその場に立ちあがろうとした。
勿論二本足で立つことなんてできない。オオカミは、四本の足で立ち、歩く生き物だ。オオカミは自分の身体の勝手がまだよく分かってなかったが、とりあえず恐る恐る身体に力を入れていく。後足のつま先に力を込め、かかとを持ちあげる。お尻を後ろに突き出す。それで、自然かどうかはともかく、四本足の獣がする伸びに近い姿勢になった。今度は前足に力を入れて、ゆっくりと身体を前へと突き出す。四本の足に支えられて、その場に立ちあがることが出来た。
リュカはその瞬間「なんて動きづらい身体なのだろう」と感じた。二本足で当たり前のように生きてきたリュカにとって、オオカミの、動物の身体と言うのは、とても心地が悪かった。
身に何もつけず、毛で覆われた身体。自分がオオカミだとは分かっていても、本当のオオカミを見たことが無いリュカにとって、この姿はそこいらで見かける犬とイメージが重複し、何だかひどく恥かしい気持ちに襲われた。
この姿を見たあの人間たちが、このオオカミがリュカだと思うことはないだろう。だが、だとしても、いやだからこそかもしれない。このオオカミの姿を他の誰かに見られたという事実が、今になってリュカの心にスッと入り込んで、かき乱していく。
「グウォウッ」
ライ麦畑の向こうから、クマの吠える声が聞こえた。考えている間にクマはもう大分離れた位置にいた。
オオカミはその声のする方へ向かうために、恐る恐る四本の足を動かし始める。一瞬、どの順番で足を運べばいいのか分からなかったが、右の前足を一歩前に出し始めると、身体の筋肉が自然と反応して、深く意識をしなくても四本の足は自然と連動し、身体を前へと推し進めた。ライ麦の穂が顔に当たり、むず痒い。
直接土に触れる四本の足は、泥と砂で汚れていく。二、三歩進んだところで歩みを止め、前足を見る。汚れた毛と肉球。長く伸びた爪。気になって払いのけたくなったが、人間の様な長い指はないこの前足では、ほろう程度の簡単な動作は出来ても、細かく汚れをつまむようなことは出来ない。
そもそも、今ここで汚れを取ったところですぐまた歩くたびに汚れてしまうのだと理解したオオカミは、気持ち悪さを感じつつまたゆっくりと歩き出した。
ライ麦畑を抜けると、そこにはクマが静かにたたずんでいた。
「ガゥ」
クマは静かに喉を鳴らし、首をくいっと動かして「行くぞ」とでも言うようなアクションをオオカミに見せた後静かにライ麦畑のそばの森へと入っていく。オオカミは言葉を返すこともなく、クマについていった。
さっきも今もそうだったが、クマは最初にオオカミに、テレパシーの様なもので語りかけて以降、それを使うことなく、普通にクマの鳴き声を上げるだけだった。
クマとオオカミ、二匹の獣は深い森をゆっくりゆっくりと進んでいく。オオカミは自分の身体に不思議なほど素早く順応出来てはいたが、しかし慣れない身体はやはりオオカミには負担が大きかった。
自然に身体は動きはするが、力が入りすぎてしまっているのか、疲労が激しく、徐々に節々が痛み、呼吸が荒くなっていく。舌をだらしなく出していることに気づいては、恥ずかしくなってひっこめはするものの、またすぐ舌を出してしまう、ということを繰り返す。
オオカミはふと、前を歩くクマをじっと見てみる。オオカミよりも身体が大きく初めは気付かなかったが、よくよく見ればクマとしてはおそらく小柄な方だし、体つきや、匂いからも、そのクマがメスであることに気付く。そしてそれと同時に、自分の鼻が匂いで他の動物のオスメスを判断できることに気付き、オオカミは激しく赤面した。赤面したつもりではあるが、毛で覆われたオオカミの顔では、その表情を読みとられることはなく、オオカミは少しホッとしていた。
やがて二匹の獣は森の奥にある、小さな洞穴の前へと辿り着いた。クマはためらうことなくその中へと入っていく。クマの住処なのだろうか。言われてついて来てみたものの、得体の知れないテレパシーを使い、自分のことを知っているクマにこうも簡単について来てよかったのかと、オオカミは途端に不安になってきた。
とはいえ、今ここで引き返すわけにも行かない。オオカミに行き先など無かった。この姿では家に帰ることは出来ない。暖かい家庭が出迎えてくれることは無いのだ。オオカミは涙を堪えるように歯を食いしばると、恐る恐る洞穴の中へと入っていく。
入口すぐは暗かったのだが、少し進んでいくと壁にろうそくが置かれ、火が灯されていた。火がある、ということは人が住んでいるのだろうか。オオカミはますます訳が分からなくなったが、とりあえず進むしかなかった。だが、躊躇いながら進んでいるオオカミは暗闇の中でやがてクマを見失ってしまった。
程なく、岐路に差し掛かり、オオカミは足を止めた。クマはどちらへ進んだのだろうか。匂いを辿っていけば分かるのだろうが、さっきの今で自分の鼻に頼ることに、自分のオオカミとしての力に頼ることに、抵抗が強かった。使ってしまえば、自分がオオカミであることを認めることになるような気がしてしまうのだ。
オオカミが足を止めていると、岐路の一方から何かが近付く気配がした。あのクマかと思ったがその足音は、二本足で歩いている音。人間だとオオカミが気づき、とっさに後ろに逃げ出そうと足に力を入れた瞬間、奥から来た人間が声をかけてきた。
「待ってくれリュカ! 逃げなくていい。私だ、カリスだ」
人間の声に、オオカミは逃げ出すのをやめ、声がした方を振り返った。そこにいたのは紛れもなくリュカの知っている占星術師の女、カリスであった。普段着ている占星術師らしい服ではなく、布を軽く纏っただけの様な、非常にラフな格好だった。
「驚いたか、リュカ。私がこんなところにいて。ここは私がこの村の近辺に立ちよった時に稀に利用している、隠れ家の様な場所なんだ。宿に泊まることも少なくないが、占星術のために気を高める必要がある時は、より人のいないところで集中したいので、この場所を見つけ出して利用しているんだ」
カリスの説明も、オオカミの頭にはあまりスッとは入ってこなかった。オオカミが驚いた表情を浮かべていたから、ここにカリスがいる理由を説明したのだろうが、そんなことよりも先に、オオカミが聞きたいことがあったのだ。
カリスが、このオオカミを、人間の面影もない一匹の獣を、当たり前のようにリュカと認識している事実だ。
「何故私がリュカを、リュカだと気づいているのか、不思議そうな顔をしているな」
カリスの問いに、オオカミは頷く。するとカリスはオオカミにスッと近寄り、腕を伸ばし、細くしなやかな指でオオカミの頭をそっと優しく触れた。その瞬間だった。
『ではこう話しかければ、何か気付くかな?』
頭の中で声が響いた。オオカミは目を丸くした。この頭で声が響く感じを、オオカミは知っている。この不思議な感覚をついほんの少し前に、オオカミは経験していた。
カリスはオオカミから手を離し、にこりとほほ笑んだ。そしておもむろに懐から何かを取り出した。オオカミははっとした。カリスの手に握られたのは、一枚のカード。描かれているのは、クマであった。
瞬間、リュカは頭の中で急速に仮説を立て、それをすぐに肯定し、確信した。オオカミの何とも言えない表情を見て、カリスは何か安心したような笑みを見せると、カードを宙に放り出した。すると、カードは突然光を強く放ち始めた。ろうそくの灯りがあるとはいえ、薄暗い洞穴の中が急に明るくなる。その光は形を作り始め、クマの形になって地上に降り立った。
「来い、おおぐま星!」
カリスがそう叫ぶと、光のクマは勢いをつけてカリスに飛びかかった。形を失った光はカリスに降り注ぎ、カリスはそれを受け止める。オオカミは、それをただ見つめていた。今何が起きているのか、分かっているようで分かっていないし、分かっていないようで分かっているような、不思議な感じだった。ただ、今、これから、カリスの身に何が起こるのか。それはオオカミは気づいていた。だから、目を見開いてしっかりと目に焼き付けようとした。
自分も経験した、人が獣に変わるその様を。
カリスに降り注いだ光はカリスの身体を包み込み、光はクマの形になっていく。そしてそれに合わせるように光の中のカリスの姿が変化を始めた。
細く長い腕からブワッと茶色い獣の毛が噴き出す。指先から黒く鋭い爪がのび、指先と手のひらは肉球と化す。オオカミのものとは違い、人間のものに近い五本指は残る。女性らしく、細くしなやかな肢体は軋みながら太くなっていき、人の姿から、獣の姿へと変わっていく。
着ていた服が彼女の身体から滑り落ちる頃には、彼女の体格は、クマのそれとほぼ変わらなくなっていた。お尻からは短い尻尾が生えていた。顔もみるみる変化し、整った顔は歪み、鼻は前へと突き出し、顔中に身体と同じように獣の毛が覆っていく。
変化はほんの短いものだった。自分が変化した時にはあれほど長く感じたのに、実際に見てみればこんな一瞬だったのかと、オオカミは不思議に思うほどだった。
そしてオオカミの目の前で、その獣はゆっくりと四本の足で地面に立った。紛れもなくその姿は、さっきまでオオカミをここに導いてくれていたあのクマである。つまり、あのクマはカリスだったのだ。
「グゥ」
クマは少しつらそうに顔をゆがめ、喉から声をこぼしたが、オオカミの方を見て穏やかな表情を浮かべた。オオカミは、リュカは、この瞬間、これまで生きてきた8年の中で、もといこれから経験する一生の中で、もっとも自分の心が大きく動いた瞬間だと、気づいてはいなかった。ただただ、疲れているわけでも、慌てているわけでもないのに、自分の心が強く脈打つこの感覚に戸惑っていた。
クマはゆっくりとオオカミに近づく。オオカミは、そのクマがカリスだと分かっているのに、いや分かっているからこそ、一瞬身構えてしまう。
クマはその手を伸ばし、さっき人間の姿でカリスがしたように、優しくオオカミの頭を撫でた。
『どうだ? 人間が獣に変身する瞬間を、その眼で見た感想は? 少しは、自分が変身した時の恐怖や、不安が、取り除けたかな?』
カリスの問いに、リュカは困った。どう答えていいか分からないからではない。カリスがテレパシーで語りかけてきても、リュカには返す方法が分からないのだ。
『大丈夫、私に言葉を投げかけるつもりで、私に思考をぶつけるんだ。星の力がサポートしてくれて、お互いの身体が触れている間は、リュカの心が私に届く』
やや哲学的でファンタジックなカリスの説明の意味は分からなかったが、リュカは言われるがまま、目の前のクマに向かって語りかけるように思考を飛ばす。
『カリス、カリス。通じたら、返事をして』
『通じるよ、リュカ。リュカの言葉、私には通じる』
『本当に、カリスなんだね? 本当に、僕の言葉が通じるんだね?』
その問いにクマが静かにうなずいた瞬間、オオカミはその場にへたり込んでしまった。そして、これまでおそらく驚きと、戸惑いで、動かないままだった心が、自分を知っている人間、理解してくれている人間が、獣の姿になって現れたことで、一気に動き出し、リュカの奥底にたまっていたあらゆる感情が溢れだしてきた。
『怖かった、怖かった! 急にオオカミになって、人間に僕の言葉通じなくて! 誰も、僕が、リュカだって、分かってくれないって気づいて。ずっとオオカミのままなんていやだって思っても、どうしようもないって感じて。クマが現れて、カリスが、クマで!』
『落ち着いて、リュカ。怖がることは、もう何もない。私が、そばにいる。私が、責任をもってお前を守る』
『カリス?』
クマはオオカミのことを優しく抱き寄せた。クマがどうしてそんなことをするのか、オオカミには分からず、身を預けるように大人しくしていた。だが、幼いリュカにも、今こうやって身体を寄せ合えば、自分の鼓動がクマに伝わってしまい、そしてそれが伝わることが何だか恥ずかしいことであると感じ、とっさに身体を震わせて、クマから身を離した。しかし、触れていなければテレパシーが使えないというカリスの言葉を思い出し、オオカミは自分の前足とクマの前足を重ね合わせた。
『カリス、何がどうなっているんだ? どうしてカリスがクマになったの? どうして僕は、僕がオオカミなんかに』
『アウストリヌスから、昔話は聞いたかい?』
『聞いた。オオカミになった少年の話だったら、聞いた』
『この国の街や村に、一つ一つおとぎ話があることも聞いたか?』
『うん』
『私の故郷の街には、クマの姿に変えられた女性の物語が、伝わっているんだ』
『それは、つまり、どういうこと?』
『どういうことか、を全て、全て説明するには、リュカはまだ幼いし、時間も沢山かかる。でも、そうだね。一つ言えること。それは、朝に言った通り、リュカはカードに選ばれた。つまり、おおかみ星に選ばれたんだ。おおかみ星の意思を伝え、ルプストンを守る宣星師として』
『僕が、宣星師? おおかみ星の、意思を、伝える?』
カリスの言葉に、リュカはただただ困惑した。リュカの質問に対する回答に、何一つなっていなかったと感じた。カリスなりに回答したつもりではあるのだろうが、リュカの求める回答を、リュカが納得する形で回答するには、カリスの言うとおり時間も年齢も無理があるのだろう。
カリスは突然話題をすり替えてリュカに問いかけた。
『リュカは今日、本来はおおかみ星を見に、外に出たんだろう?』
『えっ、うん』
『おいで、見せてあげよう。時間的に、多分そろそろ一番輝く時間だ』
そう言ってクマはオオカミの前足を優しく払い、洞穴の更に奥へとオオカミを導く。やがて洞穴の奥から明かりが見えることに気づく。クマとオオカミは洞穴から抜けると、そこはやや小高い丘の上だった。
外に出た瞬間、オオカミは息を呑んだ。周りに家々の明かりも、視界を遮る木々さえないその丘からは、全天を見渡し、あらゆる星を一望できるのだ。星に焦がれ、星を見るために家を飛び出し、その身をオオカミにやつした少年は、ただその瞬間、自分の姿が何であったかを、そして呼吸を忘れるほど、喜びを感じていた。
この一面の星空は、一人の少年リュカが、夢にまで見た光景だったのだ。
「グウォゥ」
不意にクマが呼ぶ声が聞こえた。身体が触れていなければ、クマが何と言っているのか、オオカミには分からない。だが少なくても、二匹きりでいる状態であれば、何となく予想はついた。
オオカミはとことことクマのそばへと近づいていく。クマはオオカミに触れると顔を上にあげた。
『ごらん、アレが、おおかみ星。リュカを、この村を、守護する星』
『アレが、おおかみ星。僕は、そのおおかみ星の、宣星師』
『そう。"おおかみ星のリュカ"だ』
『おおかみ星の、リュカ』
強く輝く星の元、リュカはその言葉を強く胸に刻み込んだ。おおかみ星のリュカ。その呼び名がどれほど大きな意味を持つのか、リュカはまだ知らない。ただ今は、全てを忘れて、全てを考えず、この素晴らしい景色に、ただ純粋に自分の未来が重なり合うような錯覚で、リュカの気持ちは高鳴っていた。
リュカはまだ何も知らない。星に夢中になるオオカミの横で、クマがそんなオオカミのことを優しく抱き寄せたことの意味も。今村では村の少年がオオカミに襲われたと大きな騒ぎになっていることも。アウストリヌスが冠のカードを物憂げに見つめながら、二匹の獣のことを思っていることも。リュカはまだ何も知れない。
おおかみ星が見守る中、一人の少年は自分の姿も忘れて、今はただ夢の景色を眺め続けていた。
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宮尾 武利
性別:
男性
自己紹介:
東京都出身。
北海道在住。
(現在一時的に埼玉県在住)。
28歳。
普通の会社員。
しかしその実態は、獣化小説を書いたり、獣化情報を紹介したりする、獣化のおっさんなのだ!
2005年5月より情報紹介活動スタート。
同年9月より獣化小説の執筆活動開始。
やんややんやで現在に至る。
北海道在住。
(現在一時的に埼玉県在住)。
28歳。
普通の会社員。
しかしその実態は、獣化小説を書いたり、獣化情報を紹介したりする、獣化のおっさんなのだ!
2005年5月より情報紹介活動スタート。
同年9月より獣化小説の執筆活動開始。
やんややんやで現在に至る。
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